佐賀県「大隈重信」

天保9(1838)年~大正11(1922)年

■経歴

幕末から大正期にかけての政治家。立憲改進党。第1次伊藤博文内閣外務大臣。
早稲田大学創立者。

大隈重信肖像写真

早稲田大学の創立者大隈重信(天保9(1838)~大正11(1922)年)と福澤諭吉の出会いは、明治4(1871)年の暮れか5年の初め頃といわれている。2人は意気投合して、終生緊密な関係を保ち続けた。福澤が大隈に宛てた手紙は40通も残っている。ちなみに大隈は自筆資料が残っていないことで有名で、福澤宛の手紙もない。両人をよく知る矢野文雄は、「その性格はよく似て居る、恐らく福澤先生を政治家にすれば大隈重信であり、大隈さんを学者にすれば、福澤諭吉が出来ただろうと思われる」(『補 大隈侯昔日譚』)と述べている。
福澤が亡くなったとき、福澤家は花や香典を一切辞退したが、それでも断り切れずに受け取られたものの一つに大隈からの生花があった。受付係が断ろうとしたところ、大隈家の使者は「それは十分承知しているが、これは大隈が福澤先生の訃報に、自ら手塩にかけて育てた温室の花を、涙ながらに切って作った花束である。これを返すとはあんまりではないか」と言い、それを聞いた受付は、返すわけにはいかないと受け取った。この花は、福澤の葬儀に他から供えられた唯一の花だったと伝えられている。大隈によれば、出会うまでは小生意気なやつだと思っていたようだが、二人が深い友情で結ばれていたことがうかがえる。

参考文献
『福澤諭吉事典』/『慶應義塾史事典』/『福澤諭吉展 未来をひらく』図録

福澤一太郎と捨次郎による献花香典辞退の大書
(下書き)