静岡県「伊東要蔵」

元治元(1864)年~昭和9(1934)年

■経歴

慶應義塾教員、地方企業家、衆議院議員。

明治12(1879)年11月慶應義塾入学。同14年4月卒業。

伊東要蔵
明治30年代前半とみられる

伊東要蔵は、遠州引佐郡三ケ日村(現・浜松市北区三ケ日町)の農家山田家の三男として生まれ、明治12(1879)年に慶應義塾に入学。2年後に義塾を卒業し、義塾教員、大阪商業講習所教員・教頭などを経て、明治17年に帰郷し、豪農伊東磯平治の養嗣子となった。

帰郷後は、財務諸表の導入や私有財産の設定などを通じ、旧来の方式で営まれてきた地主経営の近代化に努めると共に、福澤の影響を受けてか、教育を極めて重視し、私塾経世社、養蚕伝習所、引佐農業学校(現在の県立引佐高等学校)を設立して地域の教育事業に力を注いだ。また、地域の経済振興の中核としても活躍し、第三十五国立銀行の頭取を務めたほか、浜松委託販売会社(のち浜松商業銀行)、浜松信用銀行、浜松瓦斯、浜松鉄道などの設立に尽力し、取締役等に就任した。

帰郷後も福澤との音信は頻繁であり、現在11通の伊東宛福澤書簡が残されている。その中には、旧島原藩邸を利用した明治4年以来の教場が老朽化し、かつ増加した学生数を収容しきれなくなったのに対応して計画された講堂を新築するための三州瓦の調達に関する書簡もある。

参考文献

『福澤諭吉書簡集』第4,5,9巻/『福澤諭吉事典』/『未来をひらく福澤諭吉展』/『福澤研究センター通信』第10号(2009年3月31日付)/『日本近代研究』第18巻2001年)

浜松信用銀行 明治41(1908)年