岐阜県「早矢仕有的」

天保8(1837)年~明治34(1901)年

■経歴

実業家、丸善の創業者。
慶応3(1867)年入塾。

早矢仕有的肖像写真

早矢仕有的は天保8(1837)年、現在の岐阜県山県市に生まれ、生前に逝去した父親の後を継いで医師を志し、18歳のときに郷里で開業した。優秀な医師として活躍していた早矢仕は、庄屋・高折善六にその才を見いだされ、江戸に出て開業。坪井信道に蘭方を、谷信教に英語を学んだ。
福澤諭吉同様、蘭学だけでなく英学を学ぶ必要性を感じた有的は、慶応3(1867)年に慶應義塾に入塾。福澤に実業の才能を認められ、入塾2年後の明治2(1869)年、自らが居住する横浜に「球屋商社」を創業した。西洋の文物の輸入販売から出発し、その後出版業、製造業、金融業に進出、一時は総合商社の性格を持った「丸善」の出発である。早矢仕は同時に、横浜黴毒病院の院長として多くの患者の治療にも当たっていた。
世界を相手に商売をするという意味から、地球の「球」の字を取って「球屋」と名付けたが、マリヤ、タマヤと間違われたため、しばらくして「丸」に改めた。会社名義人は「丸屋善八」という架空の人物で、江戸行きを支援した高折善六の恩を忘れまいと早矢仕がつけたと伝えられている。これが省略され「丸善さん」と呼ばれるようになり、明治13年に有限責任株式会社に改組する際「丸善商社」に改称した。

参考文献

『慶應義塾史事典』/『塾』1998年4月号/『丸善百年史』

『横浜諸会社諸商店之図』より「丸善書廊」「丸善薬種店」明治19(1886)年頃