岩手県「三陸大津波」

明治三陸大津波は、明治29(1896)年6月15日夜に起こった岩手県釜石町沖を震源とする地震に伴って発生した。マグニチュード8.2~8.5と推定されている。夜間であったこともあり被害が拡大、岩手、宮城の太平洋沿岸を中心に、死者は22,000人に達した。

福澤諭吉が明治15年に創刊し、後半生の言論の場とした新聞『時事新報』は、この時、災害救援においてさきがけとなり、義捐金募集を行った。磐梯山噴火(明治21年)、濃尾地震(明治24年)に続き3度目で、応募額合計は全国1位を記録している。福澤はこの頃、日本経済の発展に伴い富を得た多くの実業家や富豪のモラルの欠如に問題意識を強めており、義捐金募集では、従来通り少額の応募も奨励しつつ、富豪などが奮発して良き例を世に示すべきであると主張した。

また、現地の被害状況や悲惨さを強調した他紙と比べ、津波や地震のメカニズム等について科学的理解を促す報道や解説記事が非常に多く、読者に対し災害をむやみに恐れるのではなく、科学的考察を促している。これこそ、「実学」の精神の反映といっても過言ではないだろう。

参考文献

『福澤諭吉事典』/『三田評論』2011年6月号/『福澤諭吉伝』第4巻48編/『福澤研究センター通信』第15号(2011年10月31日発行)

『時事新報』号外(明治29年6月22日付)

岩手県青森県宮城県大津波画報