茨城県「茨城師範学校」

明治14(1881)年、福澤諭吉と同郷で門下生である茨城師範学校長松木直己の推薦で、慶應義塾に4名の新入生が入学する。当時政府から国会開設を前に、法令公布のための新聞発行の依頼を受けた福澤が、文筆に優れた青年を集めたいと松本に相談し、石河幹明のほか、井坂直幹、高橋義雄、渡辺治の4名が選ばれた。井坂は自叙伝に「明治十四年春、(福澤)先生の家に寄宿し、先生より学資を給せられて、なに不足なく三カ年の課程を卒うることを得たるは、ひとえに松木氏の推輓と先生の殊遇によるものとして実に終生忘るべからざるの恩義とす」と記している。明治十四年の政変によって政府系の新聞の発行は実現しなかったが、明治15年3月の『時事新報』の創刊により、4名は卒業とともに相次いで時事新報記者となった。

まもなく井坂は材木商に転じて実業家となり、高橋も明治20年に渡米してイースト・ビジネス・カレッジに学び実業家に転身、渡辺は『都新聞』を主催し大阪毎日新聞社社長、朝野新聞社社長などを歴任した。ひとり石河は終始『時事新報』と共にあり、後年福澤一太郎をして「その思想文章ともに父の衣鉢を伝えるものは独り石河氏あるのみにして、文に於いて氏を見ること猶お父のごとし」といわしめた。石河は福澤の没後は主筆として大正11(1922)年まで20余年の長きにわたり『時事新報』を支えた。

昭和7(1932)年には7年半の歳月をかけて執筆した『福澤諭吉伝』(全4巻)を刊行。また、『福澤全集』全10巻、『続福澤全集』全7巻、『福澤諭吉』を完成させた。

参考文献

『福澤諭吉事典』/『慶應義塾史事典』/『三田評論』2013年7月号

『時事新報』創刊号

時事新報編輯局員(明治24年9月20日撮影)