山形県「奥山春枝」

明治6(1873)年~昭和10(1935)年

■経歴

明治26年、慶應義塾を卒。銀行の保有するコール・ローン(支払準備金・遊金)の運用を請け負う「ビル・ブローカー」として明治後期~昭和前期の日本経済界で活躍した。

春枝は、明治6年3月、旧上山藩士の子として現在の山形県上山市に生れる。早くに父を亡くすも、母親・親族の支援を受けながら上山・仙台にて勉学に励み、明治23年11月、慶應義塾入学。慶應義塾在籍時は英語学習に熱心励み、義塾内英作文コンテストで上位入賞を果たす。

明治26年の義塾卒業後、逓信省鉄道局へ就職。しかし、職務への不満から僅か3年で退職し、以後、銀行員として日本銀行名古屋支店、愛知銀行など愛知県内の銀行を転々する。

天職となるビル・ブローカーの職と出会ったのは、明治36年12月、大阪の「藤本ビル・ブローカー」へ転職したときとなる。転職後間もなく春枝のビル・ブローカーの才能が開花し、1年半後には本店主任に任じられる。しかし明治39年、同社の株式会社改組を巡り、経営者藤本清兵衛と衝突し退職を決意。以後、1年間の浪人生活、大阪商業会議所書記を経て、明治42年5月、仲間達と共に大阪で「匿名組合ビル・ブローカー奥山商店」を開業(大正8〈1919〉年に社名を「ビル・ブローカー奥山商店」に変更し、経営を春枝個人に切換えた)。以後、恐慌・戦争といった度重なる時代の荒波に耐えながら経営を軌道に乗せ、昭和10(1935)年2月11日、兵庫の自宅にて息をひきとる。享年62才。

参考文献

坂井達朗『評伝 奥山春枝』(慶應義塾大学出版会、2010年)/『慶應義塾入社帳』第4巻/図録『上山ゆかりの起業家 奥山春枝の生涯』(公益財団法人上山城郷土資料館、高洋堂印刷、2015年)

奥山春枝慶應義塾正科卒業証書  明治26年

奥山春枝懐中日記  明治28年