群馬県「富岡製糸所」

福澤諭吉は、日本の近代化を推進するための基幹産業のひとつとして、製糸業に大きな期待を寄せていた。同時に彼は、女性も経済的に自立すべきであると考えていた。明治5(1872)年に慶應義塾内に設立した衣服仕立局の開業引札(広告文)には、男女は対等であるべきなのに、現実の社会をみればほとんどの女性は男性に依存して生きている。その大きな要因は、女性にふさわしい職業がなく、収入が得られないからである。そこで授産施設として、衣服仕立局を設立すると書かれている。

そして明治12年に当時富岡製糸所長であった速水堅曹と知り合うと、早速翌13年には、中津から25名の女性を富岡製糸場に送り、3年間の伝習を受けさせている。25名のうち24名まで士族の子女であり、ここにも彼の授産の意図がみえる。往復の際には慶應義塾に宿泊させ、中津藩主の夫人であった芳蓮院へ謁見させて労い、また修業中の彼女たちの支援にも協力している。

明治27年に前橋市で関東蚕業大会が開かれた際、福澤は風邪をひいて急遽欠席となり、富岡製糸所長になっていた門下生の津田興二が挨拶を代読した。

参考文献

『福澤諭吉事典』/西澤直子『福澤諭吉とフリーラヴ』(慶應義塾大学出版会 2014年)

長谷川竹葉 上州富岡製糸場之図 明治9年

一曜斎国輝 上州富岡製糸場之図 明治5年