埼玉県「渋沢栄一」

天保11(1840)年~昭和6(1931)年

■経歴

明治から昭和初期の実業家。

日本の「近代資本主義の父」と呼ばれ、社会事業や公共事業にも貢献。商業教育および女子教育にも大きな貢献を果たし、日本の近代化に大きな足跡を残した。

渋沢栄一(国立国会図書館蔵)

天保11(1840)年、埼玉県深谷市皿洗島の由緒ある農家に生まれる。父の許しを得て、農閑期に江戸へ出て、漢学者海保漁村の塾や北辰一刀流千葉周作の道場で学び、彼の能力を見抜いた一ツ橋家用人平岡円四郎の推薦によって、のちの15代将軍となる慶喜の家臣となった。

パリ万博に出席する徳川慶喜の実弟昭武に随行して渡欧。帰国後、維新政府の官吏を経て、のち実業界の指導者として、第一国立銀行(現みずほ銀行)等の近代的銀行の育成に関わったほか、生涯で約500にのぼる会社の設立・経営に関わり、日本の近代経済社会の基礎を築いた。

 福澤は、明治26(1893)年6月11日付の『時事新報』に「一覚宿昔青雲夢」という記事を掲載し、官職を辞し、官尊民卑の風潮のなか、世間の評判に屈することなく一心に実業の発展に取り組んだ渋沢を、「飽くまでも其初志を貫て遂に今日の地位を占め、天下一人として日本の実業社会に渋沢栄一あるを知らざるものなきに至らしめたるこそ栄誉なれ」と讃えている。福沢との出会いは、明治3年芝新銭座の福沢邸であった。明治11年頃には、福沢が門下生で統計学などを学んでいた高木怡荘を紹介する書簡が残っている。また福沢が渋沢に宛てた他の書簡からは、明治12年に福沢が飛鳥山の別荘の新築披露に招待されたり、明治26年に福沢がボストン・ヘラルド新聞社主との会席に出席を依頼されていることがわかり、長きにわたる2人の親交が伺われる。

参考文献

井上潤『渋沢栄一 近代日本社会の創造者(日本史リブレット 人085)』山川出版社 2012年/『福澤諭吉事典』/『福澤諭吉全集』第14巻

飛鳥山別邸玄関(渋沢史料館蔵)

第一国立銀行(渋沢史料館蔵)