兵庫県「山陽鉄道」

中上川彦次郎、藤田伝三、荘田平五郎らが発起人となり、明治21(1888)年1月に創設された鉄道会社。本社を神戸に置き、まず兵庫-明石間、ついで姫路まで、翌年には神戸までが開通した。明治34年5月に神戸-馬関(下関)間の全線が開業となった。

 福澤諭吉は明治12年刊行の『民情一新』において、鉄道の発達が産業を変え、情報の伝搬を促進し、社会を変革させることに言及している。山陽鉄道に対しても、設立時より関心を示し、時事新報社で活躍していた甥の中上川彦次郎を初代社長として送り出したほか、株取得にも意欲を示していた。また、アメリカマサチューセッツ工科大学で鉄道に関わる土木工学を学んでいた福澤の二男捨次郎は、帰国すると技師として同社に就職した。福澤自身は明治25年の関西旅行時に、同鉄道を利用していた。設立時にとどまらずその後も、同社は福澤門下との関わりが深く、総支配人・社長・会長となった牛場卓蔵をはじめ、多くの塾員が社員として活躍した。明治29年刊行の『慶應義塾塾員学生名録』には、20名の同社社員が記載されている。

 明治39年の鉄道国有法により国有化され、現在はJR西日本山陽本線となっている。

参考文献
『福澤諭吉事典』/『福澤諭吉書簡集』第5~7巻/「山陽鉄道会社創立史」(野田正穂・原田勝正・青木栄一編『明治期鉄道史資料〈第二集〉地方鉄道史』第三巻(3)―Ⅱ、日本経済評論社 1980年)

中上川彦次郎肖像

山陽鉄道神戸馬開間全通広告(時事新報 明治34年5月30日付)