『秋田文学』と小国敬二郎

文学部教授
田坂 憲二

文学部教授
田坂 憲二

 十月号だから「秋」田文学、という安易な発想ではない。〈あきたこまち〉や大潟村の無農薬・減農薬栽培でも有名な秋田のおいしいお米は、十月にはそろそろ食卓にのぼるはずで、十月はまさに〈秋田〉を語るにふさわしい月であろう。

 ちょうど五十年前、昭和四十一年十月に、その秋田の名門旅館榮太楼社長小国敬二郎の長女芳子さんと、実力と人気を兼備し強くて誰からも愛された青年横綱大鵬との婚約が発表された。旅館榮太楼とは、秋田で百三十年以上続く老舗菓子舗の榮太楼が、昭和二十二年に始めた旅館である。後には政界の大立者も投宿する名旅館となった。菓子舗の榮太楼は、最近では、壇蜜さんのおめざでも脚光をあびている〈さなづら〉で知られる。小国は昭和四十五年に菓子舗の五代目社長に就任しており、婚約発表の頃は旅館榮太楼の方の社長であった。大鵬の義父は秋田の経済界の中心の一人であったが、同時に地方の文学活動の後援者でもあった。

 雑誌『秋田文学』は明治二十五年の創刊。山田美妙・巌谷小波・石橋思案らも寄稿したが長く廃刊になっていた。昭和二十三年に第二次として再出発したが、伊藤栄之介らが複数の文学誌を糾合し『奥羽文学』としたため、伝統ある『秋田文学』の名前は消滅した。ところが『奥羽文学』が編集や運営方針をめぐって再分裂。この時第三次『秋田文学』として昭和三十二年に復刊させるのに尽力したのが小国敬二郎である。第三次創刊号の発行所は「秋田市鷹匠町四六 秋田文学社」となっているが、この住所こそ旅館榮太楼のあった場所なのである。この『秋田文学』は手作りの暖かさを感じさせられる同人誌で、駒場の日本近代文学館に閲覧に出かけたときは、時間を忘れて一日中読み耽ってしまった。先日、 秋田を代表する古書店である板澤書房に、第三次『秋田文学』がまとまって出たが、残念ながら入手することは出来なかった。五十年以上前の同人誌を仕入れる板澤書房と、それを見逃さない秋田の読書人に舌を巻いたものである。

 『秋田文学』は刊行のつど同人の合評会を行っているが、その会場もほとんど榮太楼旅館であった。高度成長期、秋田に文学の灯をともし続けた『秋田文学』を、小国は物心共に支え続けたのである。平成四年の第四次第三号は、その前年に逝去した小国への哀悼の言葉、感謝の言葉を冒頭に掲げている。豊穣な作物の稔りを手にする十月に、秋田の地に文学の種を蒔き、大きく育て上げた、一人の人物に思いを馳せたいと思う。

『三色旗』2016年10月号掲載

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