北海道「依田勉三」

嘉永6(1853)年~大正14(1925)年

■経歴

北海道十勝地方の開拓事業者。
明治7年慶應義塾入塾。

依田勉三(よだべんぞう)は、嘉永6(1853)年伊豆国那賀郡大沢(現静岡県賀茂郡松崎町)の豪農の家に生まれ、明治3(1870)年に上京、同7年から慶應義塾に学ぶ。福澤諭吉の影響を受け、北海道開拓の志を立てるが、胃を病み、2年間在学の後、退学し帰郷する。
明治14年、北海道開拓の夢を捨て切れない勉三は、単身北海道に渡り、開拓のための調査を行い、十勝に目をつける。翌年、兄佐二平はじめ親族等を発起人として晩成社を設立し、十勝のオリベリ(現帯広市)に入植したが、天候不順や野生動物の害に阻まれ、大豆・小豆・麦・馬鈴薯などいずれの作物も殆ど収穫をすることができず、惨状を極めた。
明治19年には帯広から40キロも離れた当縁(とうべり)郡当縁村生花苗(おいかまない)(現広尾郡大樹町(たいきちょう)晩成)に酪農を主とした農場を開設した。蒸気機関を利用した工場も建設し、現在十勝の名産となっている牛肉やハム、バター、練乳などの缶詰を生産するが、販路の確保が困難で、しかもまだ需要が少なかったこともあって、赤字を増やすだけの結果となった。晩成社はその後、大正期には休止状態となり、昭和7(1932)年には解散となった。
帯広に本社を持ち、塾員小田豊氏が社長を務める製菓会社「六花亭」では、十勝開拓の祖といわれる勉三にちなんだ菓子を製造している。最も有名なのは「マルセイバターサンド」で、包装紙は明治30年頃晩成社で作られたバターのラベルから意匠したものである。

参考文献
『福澤諭吉事典』、『三田評論』2011年10月号

マルセイバターサンドラベル
【写真提供】帯広百年記念館

依田勉三決意姿
いかなる困難にも負けないという決意を、
「乞食姿」で表現している。
【写真提供】帯広百年記念館