福井県「松平春獄(慶永)」

文政11(1828)年~明治23(1890)年

■経歴

松平慶永。幕末の越前福井藩主、政治家。橋本左内や横井小楠の補佐を得て、藩内の改革を推進。幕末には政治総裁職も務める。大学別当兼侍読(明治2~明治3)。土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城らと並び賢侯と称される。松平慶永。幕末の越前福井藩主、政治家。橋本左内や横井小楠の補佐を得て、藩内の改革を推進。幕末には政治総裁職も務める。大学別当兼侍読(明治2~明治3)。土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城らと並び賢侯と称される。

松平春獄肖像(国立国会図書館蔵)

文政11(1828)年、徳川斉匡の八男として誕生。天保9(1838)年、越前松平家に入り、第16代越前福井藩主の座に就く。激動する時代において、政事総裁職や京都守護職、内国事務総督、民部卿、大蔵卿、大学別当兼侍読等を歴任し、明治3(1870)年以後は、『逸事史補』(1879)や『墓儀参考』(1879~80)などを著した。

 福澤は春嶽が大学別当兼侍読であった時期(明治2~3年)に、春獄の近習であった門下生の門野隼雄に『世界国尽』の偽版取り締まりを春獄に依頼できないか打診している(明治2年12月23日付書簡)。

また、明治3年5月福澤が発疹チフスを発症した際には、塾生たちが春嶽が所有していたアンモニア吸収式冷凍機を借用したこともあったが、春嶽の間に直接の往来がみられるようになったのは、10年に春嶽の孫の信次郎が慶應義塾幼稚舎に入学して以降のことのようである。両者の間には明治19年9月26日付で福澤が差し出した書簡が残っており、福澤邸には、春嶽が贈った「百世師天下法」の額が掲げられていた。

参考文献
『福澤諭吉事典』/『福澤諭吉書簡集』第1巻/『史学』第24巻第2~3号/高木不二『横井小楠と松平春嶽』吉川弘文館 2005年

明治2年12月23日付門野隼雄宛福澤諭吉書簡

松平信次郎入学記録(慶應義塾入社帳)