栃木県「日光旅行」

福澤諭吉は忙しい日々の中で、時折家族とともに泊りがけの旅行に出かけた。彼は近代社会の成立過程で「一家」を重視したが、特に「一家団欒」の大切さを説き、彼自身も家族と共有の体験を持つことを楽しんだ。後年の『時事新報』の雑誌記事を見ると、娘たちと日帰りで梅見を楽しんだこと等が報じられている。温泉地を好み、最初は熱海、のちには箱根湯本によく出かけている。

奥日光湯元温泉には、「家内同伴」で明治8(1875)年4月14日から22日まで滞在した。途中18日付で、当時下鹿沼学校にいた束原熊次郎に、翌日の面会を求めて出した手紙によれば、宇都宮経由で17日から「釜屋善三郎」方に宿泊し、18日には「中禅寺、滝」(華厳の滝か)の見物、翌日早朝に出発して、お昼ごろに鹿沼を通る予定とある。帰京後、中津藩の重臣であった島津復生にあてた手紙(4月24日付)には、極めて少ない費用で「家族親類朋友」までも一緒に楽しみ、愉快な旅であったと記されている。同書簡では、学生たちが「読書に鬱する」ことがあれば「芝居飲酒夜遊」より自然に親しむべきだとも述べており、当時福澤もちょうど苦労をしながら『文明論之概略』を執筆していたころで、日光旅行は格好の気晴らしになったのであろう。

参考文献
『福澤諭吉事典』/『福澤諭吉書簡集』第1巻/『ケンブリッジ大学秘蔵明治古写真―マーケーザ号の日本旅行』平凡社、2005年

日光街道の杉並木 明治15年(『ケンブリッジ大学秘蔵明治古写真』より)

日光山王寺本堂 明治15年(『ケンブリッジ大学秘蔵明治古写真』より)