雪池忌に想う

法学部教授
宮島 司

法学部教授
宮島 司

二月三日は、福澤先生のご命日(雪池忌)である。この二月三日になるといつも想うのは、私の専門である会社法であれ保険法であれ、もし福澤先生がいらっしゃらなければ、このような学問も制度も今のような形では存在しえなかったのではないかとの畏敬の念である。

「会社」の語を、そのご著書『西洋事情』(一八六六年)の中で “COMPANY”の翻訳語として当てられたのが福澤先生である。先生がこの著の中で、現在当たり前のように使われているいくつもの翻訳語を創り出されたことはつとに有名である。英語の COMPANYは、ラテン語の CUMと PANISから来たものである。 CUMは「共に」、 PANISは「パン」であるから、「共にパンを食べる仲間」というところにその語源を見出すことができる。そして、これがさらに転じて、「共同で事業を行い、一緒に食事をする同志」のことも COMPANYと称することとなった。福澤先生は、この限定された意味の COMPANYに「会社」なる訳語を与えたわけであるが、共に人の集まりである SOCIETYと COMPANYを見事に区別し、「社会」と「会社」と倒置させて訳出されている。フランスでは、株式会社のことを SOCIÉTÉ ANONYMEと称し、ラテン系の諸国では皆この語が当てられている。福澤先生が英語からの訳出でなく、フランス語からそれを訳出されていたとしたら、「会社」という語さえ使われていたかどうか、制度自体もどのような形になっていたか、興味深いところである。

そしてさらに素晴らしいのは、当時のベストセラーともなった『西洋旅案内』(一八六七年)において、わが国で初めて「保険制度」を紹介し、その導入に大いに尽力されたのもまた先生であるということである。ヨーロッパからの旅の帰り、現地において購入された膨大な書籍に自ら保険をかけて帰国され、そののちに保険制度の必要性を説かれ、その薫陶を受けた弟子たちが現在の多くの保険会社の創設に携わった結果、わが国が今日のような保険大国・保険先進国になったとさえ言うことができる。未だにアジア、アフリカ、中南米等の発展途上国では、保険制度への理解がきわめて不十分である。もちろんわが国でもどこまで理解がなされているかは不明であるが、そもそも掛け捨てで安心を買うことが保険の本体であるとすれば、そのような国々においても、福澤先生のような啓蒙家が懇切に説いていかない限り、制度の進展・導入すら覚束ないのかもしれない。

先生没後一一○年以上も経つ今日でもなお、二月三日には、先生が眠られる麻布の善福寺の墓所に香華を手向ける人々が列をなしている。特に幼稚舎生には年中行事となっているようであり、最近では三田体育会(体育会のOB会)の先輩方も募り合わせて参詣されている。将来塾の中枢となる使命を帯びた幼稚舎生、体育会活動を通じて最も塾を愛されてこられたこれらOB会の方々、さらには個人的に参詣されている方々が多くおられることをみると、この先の塾の永遠の輝きは疑う余地もない。

『三色旗』2016年2月号掲載

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