卒業生の声
卒業生からのメッセージ
人生の問いが山積みになっていた私は、幅広い分野が学べることに引かれ、慶應通信文学部第Ⅰ類に入学しました。経験と結び付けながら新しい世界を学び、気づきを得て自身の内に変化を感じることは喜びでした。とりわけ必修である論文の作成は、私に大きな変化をもたらしたと感じています。 入学後に暮らすことになった米国で作成した論文は、現地小学校でのフィールドワークに基づくものでしたが、ことばの壁や自身の未熟さを思い知る日々でした。そのようななかで、担当の先生に丁寧なご指導と励ましをいただきながらフィールドの人たちと交流を深め、驚いたり感心したりしつつ試行錯誤を重ねて論文を書いた経験は、得がたく、私の世界を豊かに広げてくれました。
俳句・短歌を詠むようになったという些細なきっかけ。それが慶應通信との出会いでした。国文学の世界を学び直したい。それも日常の制約や諸事と両立しつつ本格的に学問を学べる環境に身を置きたいという願い。そのような理由で願書を手にしたため、入学当初はどこまで出来るのか期待半分・不安半分で目の前の課題に取り組んでいました。自身の学びの姿勢に変化が生まれたのは、テキストやスクーリングを通して慶應の塾風に慣れてきた頃のこと。ただ知識が与えられるのではなく「自ら問いを立て考えていく」という慶應通信を貫く学びのプロセスに学問の奥深さを知り、次第にその魅力に魅せられていきました。難解な問いにも、どこか「楽しむ」気持ちを持ちながら真摯に学問と向き合う時間。その時間を通して得られる自身の変化や成長が、何物にも代えがたい学びの糧となっていったのです。入学前には想像もしなかった学問の彩り。学びの絶景が慶應通信の遥かな旅路には広がっていました。
好きな時に一人で勉強したかった私は、時間を自由に使えることに魅力を感じて慶應通信に入学しました。
私の所属していた文学部では、自分が専門にしたい分野以外の科目も多く履修できたので、テキストやレポート課題を見て、そのうちの興味を持ったものから取り組んでいきました。卒論指導の際には大学院への進学を希望していることを教授にお伝えし、論文に関しても進学についても丁寧なアドバイスをいただき、引き続き大学院で研究を続けることになりました。慶應通信で学習した内容も学生としての体験も多種多様で、貴重な人生経験を得ることができて嬉しく思っています。
物事や事象の背後や根底には、一見ではわかり得ない世界が広がり、さまざまな事柄が網の目のように繋がっています。そうした世界を認識し眺めるには、情報を検証し、独自に統合できる「眼力」が必要です。眼力を養うには、自身の中に知識と教養の土台を築いて、鍛錬の中でそれを育むしかありません。
卒業論文には慶應通信を特色づけるものですが、私の場合は特に卒業論文の構想から執筆の過程において鍛えられ、卒業後に眺める景色が変わりました。美術史学上の卒業論文でしたが、論考の基礎となったのは史学に限らず、哲学や社会学、文学や心理学など、慶應通信から教授されたさまざまな知識やその運用方法の全てといっても過言ではありません。
今、このホームページを閲覧している皆さんの背景はさまざまで、通学生のように勉強をメインに生活できる方はほとんどいらっしゃらないと思います。そういう私も海外在住の一主婦として限られた時間の中で、勉強時間を捻出し、試験やスクーリングのために日本との行き来を繰り返して卒業することができました。
もちろん大変なことも多かったのは否めませんが、それ以上に社会人になってからの慶應通信での学びは、自分で望んだ分、若い頃より充実していました。レポートのために普段読まない本を読み、スクーリングでは通学生同様の講義を受け、さらに通信仲間との交流など、それらは一主婦としてだけでは得ることのできなかった貴重な経験であり大切な宝です。
若い頃からフランス文学が好きでしたが、さまざまな事情から学ぶことなく社会へ出ました。四十路を過ぎても仏文学への情熱納まらず、慶應通信に入学しました。そして、授業はテキストを通じて好きだった作家や詩人たちに再び出会い、一人で濫読しているのではなかなか理解が難しい文学史や、作品分析に触れることができ、また、仏文学と他国の文学、文学と他の学問とのつながりを学びました。
とはいえ、通信課程は基本は一人で調べてレポートを書き、一人で勉強して試験を受け、こつこつと単位を積み重ねなければなりません。時には十分勉強したつもりなのに結果が出ず挫折しそうになったり、壁にぶつかることもありました。それでも継続できたのは、やはり大学で仏文学を学ぶという夢を、夢のままに終わらせたくなかったからに他なりません。