教員紹介 上野大輔

文学部助教
上野 大輔

文学部助教
上野 大輔

どうもこんにちは。文学部の上野大輔と申します。担当しております分野は、日本近世史です。安土桃山時代から江戸時代まで、西暦で申しますと一五七〇年頃から一八七〇年頃までの、およそ三〇〇年間を扱っております。

この時代は、私たちの生きる近代社会の前提をなす、いわば伝統社会に当たると考えられます。その在り方を照らし出すこと自体が目的なのですが、結果として、私たちの社会をよりよく理解し、変えてゆくことにも繋がり得るのではと思います。

私は、これまで必ずしも注目されてこなかった近世の仏教を切り口として、当該期の社会や国家の在り方を考えております。「宗教社会史」と銘打って、取り組んでいるところです。

二〇代の頃は、地域で生活を営む民衆(被支配身分)と仏教の救済思想との関係を、主に検討しておりました。近世の民衆の信仰と言えば、現世利益がクローズアップされがちですが、救済もまた民衆の信仰だったのです。例えば、漁業や捕鯨を営む地域において浄土宗の救済思想が果たした、「殺生」に対する免罪機能ですとか、あるいは布教活動と関わって生じた、救済をめぐる浄土宗と真宗との争論を検討しました。また、真宗信仰の特色や真宗僧侶の教団護持運動に注目し、それらが幕末期の民衆動員を促進したことにも説き及んでおります。

三〇代においては、仏教教団と幕藩領主との関係、言い換えれば近世の政教関係を、課題の中心に据えたいと思っております。今の私は、この段階にあります。「近世になって、本末・寺檀制度に基づく教団が成立し、幕藩領主の統制を受けた」という理解がいまだ主流ですが、それとは異なる政教関係像の樹立を目指しております。教団は本末・寺檀制度とは異なる編成方式も内包しつつ、自律的な運営能力を有する団体として成立し、幕藩領主との組織的な繋がりに基づいて交渉を行います。そこでは教団の担う宗教的範疇と幕藩領主の担う政治的範疇の棲み分けも見出されます。こうしたことを論じてまいりたいと思います。

そして四〇代になりましたら、神仏をめぐる秩序の推移を、本格的に検討したいと思います。つまり、宗派などで区切らず、様々な神仏自体に着目し、近世社会においてそれらがどのように配分され機能したかを検討するわけです。阿弥陀如来や天照大神などを対象とする追跡も試みたいところです。

以上を踏まえ、五〇代以降では――というところまでは申せませんが、近世史像を少しでも豊かに構想し、近代史を展望することができればと思っております。世界史的な位置づけも必要となるでしょう。

大学での教育活動はそれ自体、独自の営みですが、右の課題に取り組む上での重要な支えにもなります。「この授業を担当しなければ読まなかっただろう」というような文献を色々と繙き、歴史について広く勉強することができ、自らの課題と関わる知見も得られるからです。それだけでなく、授業などを通じて学生諸君の考えに接することで、多くの発見をさせて頂いております。

通信教育課程では、総合教育科目の「歴史(日本史)」を担当し、近世から近代にかけての問題を扱っております。年度によっては、スクーリングも担当します。また、日本近世史で卒業論文をまとめる方の「指導」に当たっております。

皆さんのレポートを読ませて頂く際は、出題の趣旨と指定の参考文献を踏まえて事実関係が整理され、自らの考察が展開されているかどうかに、注意しております。また、試験につきましては、近世史に関する重厚な解答を期待しておりますが、一方で近代史という、自らの生きる時代ないし身近な時代を、体験としてだけでなく歴史としても認識頂く機会になればと、願っております。

とはいえ、これらの注文は程々に受け止め、ご自身の興味・愛着のあるテーマを追究なさって頂ければと思います。それこそが重要で、かけがえのないことでしょう。その歩みが卒業論文にも結実するとよいのではないでしょうか。

文学部での学びは、既存の知識・技術を身に付けて試験に合格すればよい、というだけではないように思われます。歴史学の観点から申しますと、私たちを取り巻く事物を所与の前提とせず、歴史的な構築物として再把握し、ひいては私たちがそれらをよりよく作り変えてゆく可能性を担保することが、重要だと思います。このように、世界や生き方の捉え直しと関わってまいります。

先人たちの達成を享受し得る一方で、破局的な困難にも直面する時代にあって、いわゆる「役に立つ人材」に易々となるのではなく、学問を通じて等身大の日常を超えた次元から現実を捉え直してゆくことが、一層求められると思います。皆さんと共に、私も前進が叶えば幸いです。

『三色旗』2016年2月号掲載

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