教員紹介 加藤一誠

商学部教授
加藤 一誠

商学部教授
加藤 一誠

 私の専門は交通経済学です。最近は空港の経営評価に関心をもっていますが、研究対象は変わってきました。大学院生の頃にはアメリカのルーラル地域の貧困は道路整備によって緩和されるか、というテーマに取り組みました。アメリカには連邦道路信託基金という財源があり、並行して道路財源や予算配分にも関心が及びました。そして交通インフラという面で共通する空港のことをより深く知りたくなり、現在に至ります。できる限り現場に赴いて実感をもってからペーパーを書くことを心がけています。

 さて、交通経済学は伝統のある学問で、もともと交通論と呼ばれました。わが国で講義(講座)が設けられたのは明治三〇年頃にさかのぼります。交通が古くから研究対象となったのは、国の成り立ちと深い関係があるからです。歴史の授業で「新橋―横浜間に鉄道開業」をご記憶だと思います。世界各国でも事情は同じで、鉄道や海運が研究の中心で、その後、道路交通、航空というように領域が広がってきました。

 関東における交通論の系譜には二つの流れがあります。一つは、日本人として最初に交通論を講じ、交通学の基礎を築いたとされる関一(せきはじめ)教授が関係した大学です。関教授が所属した一橋大学(東京高等商業学校)、講師を務めた早稲田大学、中央大学、明治大学、日本大学です。いま一つは、外国人が交通論を講じた大学であり、慶應義塾大学や東京大学がここに含まれます。

 福澤諭吉は『民情一新』で交通のもつ文化文明への影響を論じています。そのため、慶應義塾大学では福澤諭吉や先人が正式な講義ではないにせよ、交通論を講じていたことは想像に難くありません。そのため、福澤諭吉を交通論の嚆矢とする説があります。

 他方、工学部にも交通土木や交通計画という講座が設けられ、河川、道路、空港、都市計画など枚挙に暇がないほどの交通研究者がいます。インフラ建設とその技術の改善が常に求められ、現在、先進国では維持更新が課題になっています。交通整備では価格、財源および効果なども同時に考えますから、そこに経済研究者の役割があります。経済や工学の研究者が共同で研究し、政策決定プロセスのなかでも議論を交わすのが日常となっています。

 歴史を振り返ると、交通経済学が大きく変わったのは一九六〇年代です。それ以前には、現実の描写や記述分析が多かったのです。たとえば、「世界ではこのような政策が行われている」とか、「交通サービスは〜べきである」といった具合です。その後、ミクロ経済学を使って交通現象や交通政策が分析されるようになりました。慶應義塾大学の故増井健一先生はわが国におけるミクロアプローチのパイオニアのお一人です。

 また、交通は国の成り立ちと関わる分、行政の規制の対象でもありました。インフラの建設には莫大な費用と時間がかかりますので、小規模な事業者が乱立するよりも特定の事業者が建設し、費用を回収して少し安いサービスを多く提供した方が合理的だと思われたからです。やがて、需要も大きく、事業者が多いアメリカで航空の経済規制に対する批判が高まり、一九七八年、規制撤廃(deregulation)の法律が成立しました。当時はインフレが高進し、規制は原因の一つと考えられました。

 このようなアメリカの潮流はわが国にも及びました。それは、一九八六年のことでした。日本航空のみが飛ばしていた定期国際線に全日本空輸が進出し、日本航空は国内線の路線や便数を増やしました。一九九八年以降、新規航空会社の参入、運賃の完全自由化、世界各国とのオープンスカイ協定の締結と進み、現在では政府がもつ空港の運営権の民間への売却が進んでいます。

 二一世紀にはいると、低費用航空会社(LCC)の攻勢が強まると同時に、九・一一テロ、SARSやインフルエンザ、金融危機などによって需要が激減しました。航空会社の経営は厳しくなり、日本航空が経営破綻したのはご承知の通りです。他方、航空は公共交通でもあるため、地方路線があり、その維持も課題になっています。

 わが国では撤廃が「緩和」と意訳されたように、わが国の規制撤廃は段階的に行われました。しかし、二一世紀にはいってからはその速度が増しており、変化が激しくなりました。それゆえ、研究対象とする人も多くなっています。

 現在、通信教育課程では卒業論文の指導をしております。卒論の内容は交通インフラの経済効果を分析するものです。まず、先行研究を探し出し、それらをまとめるたびに提出してもらうという作業を繰り返します。小さなレポートを蓄積することにより論点を明確にすると同時に、オリジナルの分析を進めていただきます。仕事を続けながら空き時間に文献を読んでまとめることは大変だと思いますが、コツコツと時間をかけることが肝要だと思います。

『三色旗』2016年8月号掲載

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