教員紹介 藤本誠

文学部助教
藤本 誠

文学部助教
藤本 誠

私の専門分野は日本古代仏教史です。古代仏教史というと、聖徳太子・行基・空海・最澄などの名前や東大寺の大仏などが、一般的にはなじみのあることかもしれません。ですが私の研究は、必ずしもそのような有名な人物や事柄についてではありません。具体的には、朝鮮半島から日本に仏教が伝来し、国家的に仏教を受容した後、外来の宗教である仏教が、日本古代の地域社会の人々に、どのような要因で、どのようなかたちで受け入れられたのかということについての研究を行っています。

私がこの研究をするようになったのは、弘仁年間(八一〇~八二三)に薬師寺僧の景戒が編纂したと考えられている、日本最古の仏教説話集『日本国現報善悪霊異記』(以下、『霊異記』)に描かれる、地域社会に生きる人々による様々な仏教の姿に魅了されたことがきっかけです。このような研究は、日本の仏教が古代から様々に変わりながらも信仰され続け、現代においても年中行事や生活の一部となっていることのルーツを考える上でも重要であると考えており、最近では古代仏教の世界が、どのようにして中世仏教の世界に展開・変容していったかという点に関心をもっています。

ここでは古代仏教史を考えるための一つの素材として、『霊異記』に数多く出てくる「堂」という仏教施設からみえる古代仏教の姿をご紹介したいと思います。この「堂」は、国家の編纂した歴史書(国史)では、一例しか確認することができません(『続日本後紀』天長一〇年(八三三)十二月癸未朔条)。その内容は、「岡本堂」という「堂」が過去に国家の派遣した検非違使によって破壊されたが、「賀茂大神」という賀茂神社の祭神を供養していたために再建を特別に許されたというもので、国家による宗教統制と関わる史料です。

一方で『霊異記』の「堂」の説話には、国史とは全く異なる世界が描かれています。例えば下巻十一話には、蓼原里という村にいる盲目で貧しい女が「蓼原堂」に参詣した時、檀越(「堂」の経営者)が憐れんで堂の戸を開けて中に入れてあげます。そこで女が堂内で仏像に祈願したところ、仏像の胸から桃の脂のようなものがでてきて食べると目が見えるようになったという話です。この説話からは、「堂」が古代の村の人々の信心の場となっていたとともに、村の有力者である檀越によって管理されていた様子がわかります。また中巻十五話には、村の富裕者(法会の主催者・願主)が邸宅内にある「堂」で法会を催した時のことが記されています。法会の前日に願主が導師を請じる時に、自分の使用人に、「道端で最初に出会った僧」を法会に縁のある導師として迎えるように命じたところ、使用人はお経も読めない乞食僧を連れて来ますが、願主は丁重に迎え入れます。翌日の法会の場で導師を務めた乞食僧は、自分は経典を読むことはできないが夢で教えてもらったことがあるとして、願主の家で飼われていた牛が、実は願主の母親の転生した姿であったことを明らかにするという奇跡を起こした話です。つまり村の「堂」の法会では、法会の聴衆に経典を読み仏の教えを説くはずの導師が、「道端で最初に出会った僧」という基準で選ばれ、その導師が不思議な力を持ち、法会の主催者に関わる重大な事実を法会の場で明らかにする役割を担っていた様子が記されています。このように、『霊異記』に描かれる世界は、草創期の村の仏教が、「堂」という場で、仏教の教義内容よりも奇跡を起こす呪術的なものとして信心・受容されていたこと、村の有力者が強く関与していたことを如実に示すものであり、国史には描かれなかった具体的な側面を見せてくれるのです。

もしかしたら、このような話は仏教説話集という作り話の世界だけなのではないかと思われる方もいるかもしれません。しかし同時代に導師が法会で使用するための手控え(メモのようなもの)として作成された『東大寺諷誦文稿』という史料を見ると、「某堂」(「某」の中には村の名前が入ります)の法会で、導師によって実際に語られた内容が記されています。そこには説話が語られた痕跡も見られ、『霊異記』の各説話は、そのような村の「堂」の法会の場で語られるために作成されたものであったことが推測できます。説話が実際の法会で語られた内容であったとすれば、法会の説法を聴きに来た人々が理解できるものでなければならなかったはずです。つまり『霊異記』の各説話の内容は、ある程度、古代社会の仏教の状況が反映したものであると考えられるのです。一九八〇年代後半までの研究では、古代仏教の性格は、主に国家の編纂史料から、国家による仏教統制が極めて強い時代と考えられてきました。しかし近年、『霊異記』や『東大寺諷誦文稿』の世界が解明されていく中で、地域社会の人々が主体的に仏教を受容していた側面が明らかにされ、通説が再検討されてきているのが現状です。以上のように、日本古代史の研究は、読む史料が異なれば、全く違う世界が見えてくる面白さと、そのような史料から抽出される多様な側面を総合的にどのように把握できるかを考えていく醍醐味があります。

通信教育では卒業論文の担当をしておりますが、日本古代史の卒業論文を書く上で重要なことは、まずご自身の興味・関心のあるテーマを史料から考えていくことです。古代史の史料の多くは翻刻・校訂された書籍が刊行されていますので、まずは刊行されている様々な史料を紐解きながら、テーマに即した史料がどれだけあるかを探してみることから始めてみてはいかがでしょうか。つぎに、選んだ史料の一文一文、一字一句から何が読み取れるかを考え、さらには史料全体の性格を正しく把握することです。そのためには、史料の原文や訓読文を繰り返し読み、わからない言葉は、諸橋轍次『大漢和辞典』(大修館書店)や『日本国語大辞典 第二版』(小学館)なども含めて、関連する辞書類を用いて根気強く調べることが肝要です。焦らずに時間をかけて、卒業論文の中心となる史料を様々な角度から読み込んでいくなかで、これまでわからなかったことが見えてくる喜びを知り、歴史のもつ魅力と多様な可能性を感じていただけることを期待しております。

『三色旗』2017年2月号掲載

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