羅典区(カルティエ・ラタン)の春
経済学部専任講師
山本 武男
初めてフランスで住んだ土地はヴェルサイユだった。ルイ十四世が造らせた有名な宮殿と広大な庭園の周りに余り背の高くない住宅が道沿いに並んで建っている。私が住んだのは二十世紀の四階建ての建物の四階だった。ヴェルサイユの住宅の中では比較的新しく背も高い方だった。表通りから坂を下りた奥まった所にあったのも稀な例だった。初めての外国ということもあり、フランス人の家族の一室を間借りした。食堂の窓の向こうの方に宮殿の一部が見え、近いところには「王の菜園」(Potager du roi)という宮廷に収める野菜を作る目的で造られた畑があった。自室の、左右を内側に引っ張って開けるフランス式の窓の外には、宮殿の敷地から道を一本隔てた南側にある人工池に下りてゆくプラタナス並木の坂道があり、休日には乗馬を楽しむ人が通ることもあった。その池のほとりにもやはりプラタナスの並木があり、私は画架を立てて油絵を描いた。プラタナスは夏のころから樹皮が落ち始め、秋には地面にからからに乾いた葉が溜まるのが印象的だった。プラタナスは、春が来たからといって急に青葉を広げない。六月頃に向けて徐々に茂って行く。
巴里(パリ)を中心にしたイール=ド=フランス地方で目に付く三つの木は、プラタナス、ポプラ、そしてマロニエである。私は巴里では学生が多く住む羅典区(カルティエ・ラタン)に住み、ソルボンヌに学んだ。夕食の食材を買いに出たついでに、ノートルダム寺院の前を通って右に曲がり、シテ島からサン=ルイ島を散歩して、橋を渡って自室に戻るのを日課の様にしていた。秋にはポプラが、セーヌ河畔で沢山の小さな黄色い葉を、紺碧の空を背に風に揺らしていたのが目に焼き付いている。
巴里に春の訪れを告げる木はマロニエ、リュクサンブール公園のマロニエ並木だった。厳しい冬の間、剝き出しになっていた黒い枝に、点々と緑の芽が吹き出すと、日一日と緑葉が、段々と大きく目立つ様になる。瑞々しい青葉に陽の光が透けて見える。あっという間だ。四月、巴里の春は長い冬に耐えて来た人々を追い越して走り出す。五月には巴里中のマロニエの木々に、白く紅く、ソフトクリーム状に小さな花が寄り集まって咲き誇る。丘の上に立てば、遥か地平線までくっきり街並が見えるほど明晰な光に満ちる五月の巴里。
四月には復活祭(パーク)のヴァカンスがあり、街角のパン屋の店先のショー・ウインドーには卵や魚を模った大きなチョコレートが並ぶ。明るい日差しの下、人々の足取りも軽い。休暇が済んだら学生たちは教室に戻り、六月末の学年末試験ももう間もなくだ。夏のヴァカンスで思い切り羽を伸ばしたければ、ここが正念場である。思えばフランスの学生生活は、ヴァカンスの合間に勉強をしている様なものであった。
『三色旗』2016年4月号掲載