教員紹介 宮本万里

商学部専任講師
宮本 万里

商学部専任講師
宮本 万里

私の専門分野は南アジア地域研究と政治人類学です。南アジアは現在のインド、パキスタン、バングラデシュ、ヒマラヤ山脈にあるネパール、ブータン、島嶼部のスリランカ、モルディブの七か国から構成されますが、なかでもヒマラヤの山岳国ブータンが私の主な研究対象地域です。この国はヒマラヤ山脈の南斜面に位置し、地政学的にはインドと中国(以前のチベット)という二つの地域大国に挟まれた緩衝地帯にあたります。ブータンは、十七世紀にチベットから亡命した仏教僧によって政治的に統一され、十九世紀までは塩を巡る交易や僧侶の留学や亡命など、政治経済と文化の両面でチベットの影響を大きく受けていました。しかし、一九〇七年にワンチュク家による世襲王政が成立し、その後中国共産党政府のチベット侵攻や中印国境紛争によってヒマラヤ地域の政治状況が不安定化すると、徐々にインドとの政治経済的な繫がりを深めていきます。現在のブータンは政治経済領域においてはインドの保護下にありながらも、チベット仏教文化や土着の慣習を守ることで文化的な自律性や独自性を維持してきた社会だといえるでしょう。

 このようなブータン王国ですが、日本でも二〇一一年の若き国王夫妻の来日を経てよく知られるようになり、また国民総生産などに代わるオルタナティブな開発指標として国民総幸福量(Gross National Happiness)という概念を発信したことで、世界的な認知度を高めました。国民の幸福度が独自の文化に対する人々の誇りや自然環境の豊かさに依存するとしたブータン政府は、仏教寺院建築や丹前に似た独特の民族衣装や言語、あるいは不殺生という仏教的価値をブータン独自の伝統的な国民文化として表象し、我々もまたその文化の古さや連続性に疑いを挟むことなく、その人々を固有の民族集団として受容し、そのイメージを消費してきました。しかし、私たちが現在当たり前と思っている国家や国民という単位やその属性とされているものが実はそれほど古いものでも、不変で固定的なものでもないと主張する人たちがいます。

 イギリスの社会人類学者アーネスト・ゲルナーや歴史学者であるエリック・ホブズボーム、あるいはアメリカの政治学者であるベネディクト・アンダーソンらは、人々が言語や慣習を共有し、同じ民族や国家の成員であるという感覚を当たり前にもつ「国民」または「ネーション」という共同体は、産業社会の勃興により、その様々な技術(出版技術)や制度(公教育)をとおして初めて人々の間で想像され、創造されてきたと考えました。

 近代化の中で新たに国民という共同体がつくられる時、必要とされるプロセスの一つは誰がその共同体に属するのか、その境界を明らかにする作業です。近代の制度においては、例えば国籍法や市民権法、外国人との婚姻とそれに伴う権利を示した婚姻法などが、○○国民として包摂される者と排除される者の境界を示す一つの指標になります。そこではどの言語を話し、どのような歴史や文化、慣習を共有すべきかなど、様々な基準が設けられることになり、そうした多様な属性の集合が一定の国民像を形づくるのです。

 例えばブータンでは、様々な近代化策が一九五〇年代に入って初めて導入され、近代的な教育制度の導入や自動車道路の建設、新聞の発行、国民議会の召集などと共に、初めて国籍法が発布されました。この中で特に帰化に関わる条項は、誰を自国民として認めるかについての基準を端的に示しますが、多言語社会であったブータンでは一部の支配層の母語が全国民の「国語」として認定され、その習得が求められたほか、大乗仏教の転生者による十七世紀の神政と、俗人君主による二十世紀の王政の連続性を強調した「国史」を共有することなどが、帰化の要件として定められていきました。また、一九六〇年代の国会では、北部から流入するチベット系難民の処遇をめぐって、その独特の慣習(男性の長髪等)を規制し、ブータン風(短髪)に改めるよう求める決議が出されるなど、「真正なブータン人」が着用すべき民族服や髪型、守るべき信仰、態度、礼儀作法とは何であるべきかが問われ続けていきました。

 ブータンに限らず、世界の多くの国や地域では、過去数世紀の間に同様のことが起こってきたと考えられています。そして、人やモノが国境を越えて移動を続け、世界各地で生起する災害や国境を跨ぐ環境破壊、宗教対立や民族紛争、それに伴う難民や移民問題の解決がグローバルな課題とされる現代社会においては、誰を「国民」あるいは「我々」として包摂し、誰を「他者」として排除するのか、そしてその境界線をいかに定めるのかという問題は、一層複雑な政治を生み出しているといえるでしょう。

 現代社会において自明と考えられている概念や事象の起源を問い、その歴史的変容の可能性に目を開きつつ、そこに暮らす人々の声を聞き、当該社会を重層的に理解しようと試みるのが、大きく文化人類学と呼ばれる学問の一つの特徴です。私自身は現在通信教育過程で指導等に従事する機会は得られておりませんが、今年は地方講演等の形でお目にかかることがあるかもしれません。南アジア地域研究や文化人類学に関心のある方がいらっしゃれば、会場等で気軽にご質問ください。

『三色旗』2017年4月号掲載

ナビゲーションの始まり