移民政策と情動

法学部専任講師
坪川 達也

法学部専任講師
坪川 達也

 民主主義国家において、「平等」は欠くことのできない理念です。連日、報道されていますが、二○一七年二月現在、米国の新大統領トランプ氏の乱暴な移民政策で世界に混乱が起きています。トランプ氏の特定の国を狙った入国禁止措置は、国籍・信教による差別を意味し、現代社会の根幹である「平等」を脅かしています。

 社会全体の利益に関して、冷静な判断を下すために、議論を尽くそうとすれば、社会科学的には意識的な公と私の区別が必要になります。近代的な憲法では、社会生活において、異なる価値観を奉ずる人々が公正で平等に扱われるように、多くの人権を保障し、「私」の領域を保護しています。この原理に基づけば、政治的主流派、社会的多数派が、考え方を異にする者や少数派を、不快に感じるからといった情動や、「社会道徳」といった慣習に反すると思われるからという理由で否定することは許されないと考えます。人生をいかに生きるべきかは、各個人が判断することであって、それを一部の人間に対して許可しないということは、民主主義国家においては許されません。

 こうした民主主義国家の原理がありながら、人間は時に、なぜ理性的な考え方ができず、冷静になることができないのでしょうか。

 私の研究分野である神経科学から説明すると、それには情動が深く関わっています。情動とは、単なる個人的な気まぐれの現れでなく、個体の生存に深く関わる価値判断をする脳の機能です。

 行動経済学者のダニエル・カーネマンも指摘しているように、人間の思考には、処理が素早くホットな思考形態と、遅くクールな思考形態があります。脳の働きを視覚化する画像技術の進歩により、近年の神経科学は、前者が情動・慣習的思考に関係するDefault Mode Network:DMNという神経回路に、後者が論理的思考に関係するTask Processing Network:TPNという神経団路と対応しているのではないかと指摘しており、人生において個人的決断(まさに「私」の領域)を行う際には、DMNが活動しているという報告があります。

 情動といった生物学的価値判断や、自分もしくは他人により既に選択された思考(ある意味で慣習)に基づき、目標を定めるのがDMNです。人間の思考における情動の重要性は近年、脳外科医ダマシオが指摘していますが、それにより人間の判断は知らず知らずのうちに左右されているのです。

 では、TPNだけがあれば、人聞は適切な判断が下せるのかといえば、DMNがなく、TPNしかないのが現代のロボットです。現実世界に合わせて目標の調整ができないことをロボット三原則で有名なSF作家のアシモフは、「ロボットの思考は論理的であるが妥当性がない」と表現しています。

 両者は時に相反しますが、協調して働くときもあり、どちらも人間の価値判断に必要な回路なのは間違いありません。そして、協調して働くがゆえに、双方の回路の存在や機能を知らないままでいれば、無意識に影響を受けていることに気づかないままになってしまうことでしょう。

 隣人と如何に付き合うか、これらはまさに「私」の領域であればこそ、我々は冷静になれないのかもしれませんが、情動や慣習が脳の「思考」回路に影響を及ぼすという知識と意識があれば、情動のみによって判断を下すことなく、一呼吸置いて冷静な討議の場を持てるのではと考えています。

『三色旗』2017年4月号掲載

ナビゲーションの始まり