神奈川県「富士屋ホテル」

箱根に位置する富士屋ホテルの創業者は、実業家の山口仙之助である。
山口は、明治4(1872)年、20歳で米国に渡り、将来は牧畜事業がわが国に有益であることを信じ、苦労の末に蓄えた資金で7頭の種牛を購入し帰国。明治7年、慶應義塾に入学する。福澤諭吉は山口の性質を見抜き、学問の道よりも実業界へ進むことを勧め、同時に国際観光の重要性を説いた。山口は牛を売却して得た資金を基にホテルの開業を決意し、箱根宮ノ下の藤屋旅館を買収。明治11年富士屋ホテルと改称し、主に外国人を顧客とする日本で初めての本格的リゾートホテルを創業する。明治16年12月に火災でホテルは全焼するが、翌年、平屋洋館を新築して復興。以後、次々と建物を増築し規模を拡張させた。
福澤と山口の親交は長く続き、箱根を旅行する知人(アーサー・メイ・ナップ)とその子供の世話を山口に依頼する書簡(明治22(1889)年4月29日付)が残されている。

参考文献
『福澤諭吉事典』/『福澤諭吉書簡集』第6巻/山口由美『箱根富士屋ホテル物語』(増補版)、千早書房,2007年)

山口仙之助宛福澤諭吉書簡 明治22(1889)年4月29日付
【箱根旅行をする米国人知人ナップの家族の世話を依頼する】

富士屋ホテル外観

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