長崎県「福澤使用の井戸」
長崎市出来大工町の市有地に、長崎遊学中に福澤諭吉が使用したと伝わる井戸がある。1メートル四方、深さ約6メートルの井戸は、福澤が食客として身を寄せていた、砲術家山本物次郎宅のすぐ近くにある共同井戸であった。『福翁自伝』には、ある日山本家の子息に漢学指導をした後、表の井戸で水を汲み、大きな桶を担いで一歩踏み出したちょうどそのとき、「上方辺の大地震」が起こり足を滑らせ、あやうく井戸に落ちそうになったことが記されており、この井戸がその舞台とされる。
井戸の脇には、昭和12(1937)年に長崎三田会によって「福澤先生使用之井/安政五年」(慶應義塾長小泉信三筆)」と刻む標石が建てられた。近年、木製の屋根つきの囲いが設けられるなど、周辺が整備されている。
なお、平成10(1998)年に井戸近くの諏訪神社の参道石段の半ば、祓戸神社の脇に、長崎三田会によって福澤の銅像も建立されている。
参考文献
『福澤諭吉事典』/『三田評論』2007年6月号/『まちなかガイドブックⅠ (新大工・中通り・浜ん町編)』長崎史談会・長崎市観光政策課発行
福澤諭吉使用之井
昭和初期の井戸。現在は覆いに囲われている。
諏訪神社内 福澤諭吉像